もも太郎誕生の秘密に迫る

2022年05月17日 コラム

新潟県民にはお馴染みの「もも太郎」。
県内出身の私も小さいころから気づけば冷凍庫に入っていて、ピンク色をした、もものマークのガリガリアイスは、何ら疑問を持たずに「もも太郎」と呼んで食べて育ちました。

近年、テレビをはじめとする各メディアから、新潟のご当地アイスとして取材を受けることが増えてきました。そこで気づかされるのが、「新潟のご当地品」であること。私含め新潟県民のほとんどが知っている「もも太郎」ですが、県外の方とお話をすると「もも太郎」を初めて知ったという方や、メディアで知ったけれども食べたことはないという方ばかり。
反対に、生まれも育ちも新潟の方には、「もも太郎」は日本全国津々浦々どこでも食べられると信じている方も多く、「実は新潟でしか買えないんですよ」とお話すると、驚かれる方も多数いらっしゃいます。

「もも太郎」の歴史を紐解くと、昭和初期まで話を遡ります。かつて新潟地域のお祭りなどの出店で売られていた氷菓子がルーツになっています。木で作られた型に砕いた氷を詰め、シロップをかけて割り箸を刺して食べていたのだそう。その形がハートをひっくり返したような、いわゆる「桃」の形。この氷菓子は「桃型」と呼ばれ、当時それはそれは人気があったそう。そんな人気の氷菓子、お祭りでなくともいつでも食べられるようにと当時の当社担当者が試行錯誤を重ねて製品化しました。それがセイヒョーの「もも太郎」。効率的に製造するため、形こそ複雑な桃の形ではなくなってしまいましたが、名前と印象に残るデザインにその名残が残っています。

当社が「もも太郎」の製品化に成功したのが昭和20年代。その頃はまだまだ家庭用冷凍庫も無い時代。冷凍の氷菓子を溶かさずに運べる地域も限られていました。それでも、いつでもお祭りの味を楽しめる「もも太郎」は人気となり、現在に至るまで70年以上、世代を超えて新潟で愛される味になりました。
新潟のお祭りの小さな出店の味が、新潟県民の夏の定番になり、そして今では新潟ご当地アイスとして全国にまで知られる存在となった「もも太郎」。間もなくやってくる夏、全国の家庭の冷凍庫に、ピンク色がストックされる将来が来るかもしれません。

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